iPadをAppleに返品してしまった
ある人のブログより。
便利過ぎるのも、ダメですね。
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欠点が全くないわけじゃないけど、問題は自分にある。
もちろんメールも送った。Pages使って記事も書いた。
ネットフリックスでWeedsも観た。ニュースも天気も渋滞情報もiPad。
そしてもちろん人に自慢げに見せびらかして回った。
あまりにも簡単過ぎる。あまりにも繋がり過ぎる。
あまりにも速く、あまりにも長く使い過ぎる。
そりゃ欠点はある。けど、とんでもない欠点はひとつもない。
ほぼ全部したいことはなんでもできる。
これがいざ使ってみると、けっこう問題なのだ。
寝る前にWeedsの番組観たいと思う ことはあるかもしれない。
でもそれってどうしても観なきゃならないもの?
放映1回分見たら次の回も見たくなって容易には止まらない。
そして2時間後。すっかり楽しませてもらってグッタリしてる自分は
本当に前の自分より良くなってるんだろうか?
もしかして5時間寝るより7時間寝た方が
まだ良かったんじゃあるまいか?
ところが何かが
睡眠時間もそれなりに大事だが、それだけじゃない何かが
忙しさに紛れて消えているのだ。
何か失ってはならない、とても大事なもの。
それは…
退屈。
退屈は大事。本当は誰もが追求すべき心の状態だ。
退屈になると心は行き場を失って、何かエキサイティングなもの、
何か面白い着地点を求めて、ひとり歩きを始める。
そしてそこからクリエイティビティが生まれる。
こうした時間があるからこそ僕らは、
往々にして無意識ではあるけれど、心を整理し、
生きる意味を考え、点と点を繋ぐことができる。
こうした時間があるからこそ、己に問いかけ、
己の声に耳を傾けるのだ。
こうした時間を失くすこと、その時間を仕事やら生産効率やらで
置き換えることは、間違ってる。
もっと最悪なのが、失くすだけならまだしも
僕らは自分から進んでこれを、放棄しているのである。
「自分の問題だね。あんま使い過ぎないようにするこった」
その通り。悪いのは自分。これは自分の問題なのだ。
そばにあると、つい使わずにいられない。
しかも不幸なことに、あれはいつもそばにいる。
だから返した。一件落着。
それにしても今回のことは、退屈がいかに大事か学ぶ良いきっかけになったよ。
おかげで今は余った時間、空き時間、歩く時間、
移動時間、待ち時間があれば、前よりずっと意識的にその時間を活かして
自分の心を自由にさ迷わせるようになった。
今、僕と娘には新しい儀式ができた。
それが本当に1日の楽しみになっている。
前より15分早くベッドに連れてって、娘がベッドに潜り込んだら、
シーッとやる代わりに、隣にゴロンと横になって、
ただおしゃべりすることにしたんだ。
娘はその日1日の出来事を話してくれる。
心配なこと、面白いと思ったこと、
心に浮かぶこと。
僕は話を聞いて、質問をする。
一緒に笑う。すると心はたださ迷い、ひとり歩きを始める。
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