一代で築きあげた英雄の最後の晴れ舞台であり、 京都の醍醐寺において、 諸大名からその配下の者など 約1300名を従えて盛大に催した宴である。 豊臣秀吉はこの約半年後に没する。 しかし、諸大名のあいだでは すでに秀吉亡き後の政権のあり方について、 陰に陽にさまざまな駆け引きや 腹の探りあいがあったという。