キャラクター小説の作り方
第一講――キャラクター小説とは何か
はじめに
ジュニア小説の可能性
スニーカー文庫のカバーイラストは何故、アニメ絵か
キャラクター商品としての小説
アニメやまんがをお手本にした小説
現実を「写生」する文学
新井素子とアニメのような小説の誕生
仮想現実を描く小説
第二講――オリジナリティはないけれどちゃんと小説の中で動いてくれるキャラクターの作り方について
「オリジナリティが欠けている」とはどういうことか
キャラクター小説における欠点
キャラクター作りの問題点とは
『ロードス島戦記』にオリジナリティはあるのか
『ロードス島戦記』とTRPGの関係
RPGでは何故パーティーを組むのか
「盗む」ことで生まれるオリジナリティ
雨宮一彦の「正体」は多羅尾伴内
キャラクター作りとは方程式である
キャラクターからドラマを導き出す
キャラクターの「外見」と「物語」を結びつける
第三講――キャラクターとはパターンの組み合わせである
手塚治虫はオリジナリティをどう考えたか
オリジナリティとはパターンの組み合わせである
キャラクター作りの三つの水準
類型的であることと個性的であることは矛盾しない
古典文学もパターンの組み合わせだった
「決まり文句」から「写生文」へ
江戸川乱歩のミステリー小説観
萌え要素と記号説
パターンを再発見しよう
ギャルゲー的物語のパターン六種
それでもパターンに還元できないものはある
第四講――架空の「私」の作り方について
「手紙魔まみ」は実在するか
リアリズムとは「お手本」から自由になること
キャラクターが歌を詠む
柳田國男の古典文学批判
種本は「ハリウッド脚本術」です
作者が架空の「私」になりきる
主人公には目的がいる
主人公は何かが「足りない」
吉本ばななの技術
第五講――キャラクターは「壊れやすい人間」であり得るか
死をどう描くか
雨宮一彦は何故、死んだか
ジュニア小説の三つのルーツ
手塚治虫と戦時下のまんが
キャラクターに血を流させることの意味
ハリウッド映画の主人公が不死身な理由
「映画のような小説」化する世界
清涼院流水の試み
「ゲームのような死」の先へ
第六講――物語はたった一つの終わりに向かっていくわけではないことについて
キャラクターはやっぱり勝手に動いてしまう
カードとプロットを用意する
「場面」をカードに書き込む
時間軸に沿って番号をふる
カードをチェックする
ストーリー編集とは何か
プロの作品をカード化してみる
可能世界と「エヴァンゲリオン」
第七講――テーブルトークRPGのように小説を作る、とはどういうことなのか
『ロードス島戦記』とはリプレイ小説だった
あなたはゲームマスターかプレイヤーか
TRPGとはゲームではなく「創作」である
TRPGにおける三つの立場
原作者とは「リプレイ」の創作
あなたはゲームマスターか、それとも?
第八講――お話の法則を探せ
「おもしろさ」について考えてみる
「私小説」のおもしろさ
他人の体験はそれだけで「おもしろい」
キャラクター小説の「おもしろさ」とは何か
「プロジェクトX」にはパターンがある
お話には法則がある
「千と千尋の神隠し」におけるお話の法則
「お話の法則」は昔話を読むことで身につく
湯婆婆の正体
第九講――「世界観」とはズレた日常である
「世界観」という語の成り立ち
「世界観」とはキャラクター世界の「観」方である
水に沈んだ世界
「ズレた世界」の日常をイメージする
シェアードワールド小説
学生たちの作例
第一〇講――主題は「細部」に宿る
細部なんか矛盾してもいい
「お話」の密度
「自分たち」にしかわからない細部
細部はテーマを示す手段としてある
「木更津キャッツアイ」のテーマを考えてみる
大人になることを先送りにする
「死に難い」ルールからの離脱
世界観の細部に神は宿る
第一一項――君たちは「戦争」をどう書くべきなのか
何故、「現実の戦争」について考えなくてはならないか
「9・11」は物語作者のありふれた想像力の中にある
映画のような本物の戦争への期待
アイデンティティの確立の物語
「敵」は誰なのか
物語は続いている
「死なない身体」の平面性
「海のトリトン」
最終講――近代文学とはキャラクター小説であった
キャラクター小説は「文学」であるべきだ
『蒲団』再考
新しい現実には新しい日本語が必要だった
「私」になる手段としての文学
「仮構の私」を生きようとした少女
奪われた「言文一致」と「私」
「私」とは近代文学が産みおとしたキャラクターである
「文学」になってしまうことを恐れるな
あとがき
※角川文庫版には下記を追加。
補講1 「9・11後の世界」と再物語化する世界
補講2 宮崎駿における「物語の構造」とは何か
文庫版あとがき
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