自己暗示の特徴
@受容
ある考え(暗示)が精神に提示されても、
精神に受容されない限りは決して現実にはならない。
※「『自己暗示』 著者:C.H.ブルックス/E.クーエ」
精神に受容されるというのは、潜在意識に刻印されるということです。
その暗示が、マスターイメージになることです。
意識的に「わたしは金持ちだ」と自己暗示をかけていても、
それが成功しないのは、精神が「わたしはお金持ちだ」という考えを受容しないからです。
何気ない日常の自己暗示は、無意識に行われるので、
精神が容易に受容できてしまいます。
なので、「わたしは金持ちだ」という考えを
「何気ない日常の自己暗示」にしてしまうのが一番いいわけです。
ジョセフ・マーフィーさんは、富裕感を持てといいますね。
「自分は、金持ちだ」という気持ちで生活しなさい、
というわけですが、これが難しいのです。
A感情
ある考え(暗示)にともなう感情が強ければ強いほど、その考えから生ずる自己暗示の力も強くなる。
※「『自己暗示』 著者:C.H.ブルックス/E.クーエ」
考えには、多かれ少なかれ感情を伴います。
特に、健康やお金、恋愛、そして自尊心に関してもっとも強い感情を伴います。
感情は、怒り、恐怖といった良くない暗示効果を伴う場合の方が強力です。
恐怖心を呼び起こす方が、喜びを呼び起こすより簡単なのです。
今、頭の中で考えてみてください。
過去の体験や、映画の場面など。
恐怖・怒り・悲しみ・悔しさ・恥ずかしさなどのマイナス体験。
・・・。
喜び、爆笑、うれし泣き、成功、幸運などのプラス体験。
・・・。
さあ、どうです。恐怖や怒りの場面の方が簡単に思い出したのではありませんか。
それが、暗示の障害となる一つの原因なのです。
死への恐怖。生への喜び。この相反する言葉とそれに伴う感情は、死への恐怖が、圧倒的に勝ります。
なぜなら、「生」、すなわち生きているという状態は当たり前の状態なのです。
当たり前のことを気にする人間はいません。
あなたは空気を吸えることに感謝し喜んでいますか?
ここで宗教の大切さが実感できるでしょう。
この当たり前のことに感謝しましょう。というのが、宗教なのです。
生きていること、心臓が動いていること、そいう当たり前な生命活動に感謝し、
ありがたいという気持ちを起すことが如何に人間にとって大事なことなのか。
当たり前なことに、喜びの感情を伴わせることは、とてもよい自己暗示になるのです。
B連想
ある考えが無意識に受容されるか排斥されるかは、その考えにつながって生じる連想の如何による。
※「『自己暗示』 著者:C.H.ブルックス/E.クーエ」
「連想の如何による」というのは、
同質の感情を持った考えを連想すれば、受容されます。
反する感情を持った考えを連想すれば、受容されません。
たとえば、「わたしはお金持ちだ」 という言葉からどんな連想が生まれますか。
あなた自身が「高級車に乗る」「今の会社を辞職する」
「好きなものを好きなだけ買う」「旅行に行く」など、を想像したでしょうか。
実はこれは、あなたの意志の力で思い浮かべた結果かもしれません。
あなたの無意識では、「中古の軽自動車」「明日もあの会社へ出勤だ」
「小遣いがない。飲みにもいけない」「自宅でごろごろ過ごす」
など、を想像している可能性があります。
人間の無意識では、現実の状態を連想します。
連想とは、「頭の中にパッと浮かぶ想像」「無意識に起こる意識しない想像」のことですが、
体験した事のないことを想像するのはかなり難しいことなのです。
C露頭
われわれが自分の考えを意識的に誘導できて、
しかも無意識がかなり高く「露頭」ている時間といえば、眠りにつく直前と目覚めた直後であろう。
※「『自己暗示』 著者:C.H.ブルックス/E.クーエ」
現実からかけ離れた状態を暗示するとき、同質の感情を呼び起こすとは限りません。
連想したくもない現実場面を連想する確率の方が高いです。
しかし、現実的連想を起さない状態があります。
「無意識が露頭」してきている状態です。
すなわち、睡眠中ということになります。
ところが、眠っているときは、自己暗示をかけようがありません。
意識が残っていて、「無意識が露頭」している状態とは、
睡眠の直前直後ということになります。
この瞬間をねらって自己暗示をかけましょう。
また、音楽や絵、詩などに触れ、
幻想的な想像の世界に心を遊ばせている状態も「無意識の露頭」レベルは高いです。
分かりやすく言えば、空想・妄想にふけっているときです。
このように睡眠時以外でも、「無意識の露頭」レベルが高い時はあります。
D努力
自己暗示を実行するとき、何よりも重要な規則は、「努力を避けよ」ということである
※「『自己暗示』 著者:C.H.ブルックス/E.クーエ」
「無意識の露頭」レベルが高い状態をねらって行っているにもかかわらず成功しないのはなぜか。
意志の力を用いて、自己暗示をかけようとしたからです。
意志の力を用いれば、無意識の露頭レベルは低下し、意識の支配が強まります。
この様なときは、自己暗示は、潜在意識に届きません。
意識の支配が強いときには、呼び起こしたくもない経験的・現実的連想が起こります。
よって、どんなに頑張っても、自己暗示がうまくいくことはないのです。
せっかく「無意識の露頭」状態をねっらて暗示を行っているのに、
意識をよびおこしてしまっていたということです。
「努力を避けよ」とは、「意志の力を用いることを避けよ」ということです。
意志の力を用いれば用いるほど、顕在意識が勝ってしまいます。
なにげなく、無意識に自己暗示ができることが大切です。
努力すればするほど、マイナスの連想が起こり、
暗示の内容とは逆の結果をまねくことになるのです。
これを、努力逆転の法則といいます。
E指示
目的を果たすための方法をいちいち暗示する必要はない
※「『自己暗示』 著者:C.H.ブルックス/E.クーエ」
どうなりたいのか、最終目標を考えればいいのです。
仕事で成功している自分をイメージすればいいのです。
マーフィーさんも、「いちいち指示をする必要はない。おまかせでいいのです」といっていますね。
あれこれ詮索する事は、不信の念を表明しているようなものです。
また、あなたの顕在意識の知恵よりも、
潜在意識の知恵の方が上なので、かえって上手くない結果になるでしょう。
無意識に失敗の場面を想像してしまうことがります。
ゴルファーがボールをバンカーにいれてしまった失敗は、
こと細かな指示をあたえたからではありません。
失敗すると思っていれば、自然とそうなるのです。
試験に落ちることが不安な受験生は、
試験中に度忘れすることも、無意識が自然と働いた結果です。
細かい暗示をあたえなくとも、そうなるのです。
F努力逆転の法則
大変有名な努力逆転の法則(逆努力の法則)を紹介しましょう。
※『自己暗示』 著者:C.H.ブルックス/E.クーエ
「長さ10メートル、幅30センチの厚板」の上を、歩く事はだれにでもできるでしょう。
では、この厚板を東京タワーのテッペンに置いた場合はどうでしょうか。
まともに歩いていける人は何人もいないに決まっています。
今、テレビ番組で、地上10メートルの高さからプールへ、
飛び込める時間を競っている企画がありますが、それでも、あれだけビビッてしまうのです。
最初のように、普通においてあるだけの厚板は、簡単にわたれるのに、
東京タワーのテッペンでは、何故できないのでしょうか。
前者の場合は、「簡単にできる」と想像しているからです。
後者の場合、「そんなことはできない」と想像しているからです。
東京タワーのテッペンの高さでは、「意志」の力は無力です。
どんなに、前に進もうと思っても足がすくんでしまいます。
これは、地上に落ちていく自分を想像してしまう結果です。
一度想像すると、もうこの想像をくつがえすことはできません。
どんなに歩こうと努力しても、足はいうことをききません。
努力すればするほど、
意志の力を働かせようとすればほど、
「内心の願望とは逆の結果が生じてくる」のです。
頑張れば頑張るほど、その努力とは反対になるという不思議な法則があります。
この法則をエミール・クーエは次のように述べています。
1.意志力と想像力(イメージ)が相反した場合は想像力(イメージ)が勝つ。
2.意志の力で「努力すればするほど」想像力(イメージ)は強力となり、
その意志の努力とは反対の結果なる。
3.意志力と想像力が相反した場合は想像力の強さは意志力の二乗に正比例する。
これが、努力逆転の法則(逆努力の法則)です。
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